
大正もののけ異聞録
創作小説其の六 第二節
【鈴音、温泉に入るの巻】
雪の森を抜けて山へと登れば、その中腹に秘境天然温泉がある。
その名も「北竜温泉」。
あまりにも辺鄙なところにある為、滅多に人は来ず
モノノケや野生動物達の癒しの穴場となっている。
冬でも、夏でも、渾渾(こんこん)と地下から湧き出るお湯は
何時でもたっぷりと使え勿論
湯治にも最適である。
ようやく辿り着いた2匹は、入口で見張り番をしているモノノケの
クラワラシの少女に入浴料として六銭を支払いまずは脱衣所で
着物を脱ぐ。
脱衣所の脇は簡易売店になっており、湯上りに飲む石清水や牛乳、
ちょっとした食べ物なんかも置いてある。
売店の入口には、飾り物として大きな招き猫の置物一つに
隣に小さな招き猫が三つか四つ程置いてありなかなか風情がある。
諏訪の温泉とは違ってここは、大自然を一望出来る露天風呂になっている。
そして北竜温泉は、混浴風呂と言う事でも有名である。
桶を使ってお湯を汲みそのお湯で軽く体を清めて
早速2匹はちゃぷん!と軽くお湯を跳ねさせて足から温泉の中へと浸かる。
じんわりと体の芯まで
お湯の温かさが染み透るのに時間はかからなかった。
「はぁぁ~~、極楽じゃのう。」
頭の上に手拭いを乗せて肩までお湯に浸かった鈴音が満足そうな声をあげる。
一方の桜花も、半分目を閉じ熱いお湯を堪能していた。
「ぽかぽかですにゃあ。」
もうもうと湯気が立つそこでは白い蒸気に塞がれてあまり視界は良くない。
それでも気配で、山の動物達が温泉に入りに来ているのが分かる。
以前には野生猿の集団が来ていたが、今回は何だろうか?
鹿か、或いは熊か、狐か。
動物は、モノノケにも近しい者なので彼らは怯える様子も無く
近づいて来た物だ。
岩肌にぴったりと体を寄せるようにして雌の鹿が浸かって居た。
「ところで鈴音様は、雪の森に何か用事があったのですかにゃ?」
至近距離で桜花がそう尋ねれば、鈴音は豪快に笑って言う。
「あそこの社に祭られている存在を知っておるかの?」
「知りませんにゃ。」
「あれは、人間達がかつて信仰した土着の神の一柱じゃな。ワシは時々あそこに行って
様子をこっそり見ているのじゃ。」
ほっこりと良き気分で顔を手拭いで撫でるようにしながら鈴音は
続ける。
「昔は、岩や大木、湖、果ては米の一粒にいたるまで神が宿ると
人間の間で信じられておったのじゃ。
常に神は自然と共にあった。神は万物に宿る……その信仰は厚く
人間は自然の全てに感謝し、日々を慎ましく暮らしておったのじゃ。」
「今は、社は寂れ放題でその信仰も過去の物となったように見えますにゃ。」
「人はいずれ忘れ行くモノ。それは我らの存在とて例外では無いのじゃ。
だからこそ、今ここに我らが在る内にもっともっと彼らを慈しみ
守ってやるのじゃ。これでもか、というぐらいにな。」
幼い外見に似合わず老獪な光を瞳に宿し、鈴音は告げる。
温かい蒸気とお湯のおかげでその頬は薔薇色に紅潮している。
「例え忘れる者が多数でも、ほんの一人や二人、或いは数人。
ワシらの事を覚えて居てくれる者はおるじゃろう。
その時の思い出が輝くように、悔いなきよう生きたいものじゃな。
……ふむ、年寄りのワシにばかり話をさせて何とするのじゃ。
ヌシも何か話をせい。」
「私ですかにゃ、え、えーと……」
突然、話を振られてネコマタの桜花はしどろもどろになる。
それでも、ぽつりぽつりと話を始めればたちまち
それは長話となる。
その後、長湯となってのぼせるまで2匹は睦まじく話に花を咲かせ
存分に湯を楽しんだと言う。
~終わり~