
ペルソナ罪~Innocent Sin~
■記憶と現実の狭間■
黒須純子。
かつて珠閒瑠市近郊のローカル局で、ドラマやバラエティ番組に多数出演し
女優として美しく華やかに活躍していた人物の名前である。
しかしそれも12年以上前の話、今はその人気は新手の若い女優やアイドルグループに取って代わられ
完全に世間からは話題性が失われていた。
彼女を学生時代から知る者の話では高校卒業前に幸せな出来婚をして
家庭に入り女優業と育児と家事を両立する事が出来ず僅かな活動期間を経て
完全にメディアから消えたとの事である。
(悪夢だ……。)
とある高級マンションの一室で、黒髪の少年がソファに座りクッションを頭にかぶせるようにして押え
一生懸命何かから耳を塞いで居た。
知る者が見ればその顔つきは、黒須純子のそれと酷く似ている事が
分かっただろう。
薄い壁一つ隔てた隣部屋で、明らかに性交をしている音が聞こえる。
その声は酷く淫らで何も隠しても居なかった。
(何時まで続くんだ、この生活は。)
少年はたまらず、クッションを足元へと乱暴へと放り投げると
母とその愛人の男が居る同じ一室から逃げるように外へと飛び出した。
夜の23時過ぎ、少年程の年の頃合いだとあまり出歩くような時間では無い。
下手をしたら警察に補導されるかもしれない。
だけど、塾の帰りと言えば切り抜けられる自信もあった。
思わず手ぶらで飛び出して来てしまったが、
私服のジャケットのポケットの中には
幾ばくかの金の入った白の財布。無論部屋のスペアキーも
ポケットの中だ。
夜の街は酷く明るくまた人を誘うような音と光を持って居る。
比較的都会に位置するここでは、この時間でも大勢の若者や社会人と思わしき
大人が道や横断歩道を闊歩しその様がますます少年に孤独感と疎外感を与える。
少年、黒須淳は人混みが大嫌いだった。
そして学校も大嫌いだった。
最近転校したばかりの高校では、クラスメイトと馴染めず
授業や定期的に行われるテストこそ上手くこなしては居たが
校内の不良に目を付けられるのもすぐだった。
群れず一匹狼的な行動を好む事と、大人しそうに見える性格、
更に女性寄りの中性的な顔立ちに男にしては小柄な体と来れば
不良達が虐めや搾取の対象として目を付けるのに淳は打ってつけだった。
それは数日前の事。
下校時間に、待ち伏せするように同学年の不良グループ5人に囲まれた。
それで大人しく、従った振りをして
屋上へ付いて行けば金の無心とストレスの捌け口として
殴られるような雰囲気だ。
だが、淳は笑っていた。諦観の笑みでも無い。愛想笑いでも無い。
強いて言えばしてやったり、と言う勝ち誇るような笑みである。
「あァ!?てめー、何笑ってんだよ!」
「こいつ、頭オカシイ奴だったのか、ふざけんな。ムカツク顔しやがって。」
口ぐちに不良が、イキり立ち淳の胸倉を掴んで一発殴ろうとした矢先
それは起こった。
ふわり、淳の後ろに幽霊のようなぼうっとした幻影のようなモノが現れたかと
思うと……
(ペル…ソナ……ッ!)
心の中で軽やかなリズムを付けてそう叫ぶ。
幻影は、はっきりとした『無貌の人型』となって不良達に襲い掛かり胸倉を掴んだ生徒の
腕をがっちりと掴む。
(やれ!)
ボキィ!
一瞬にしてその生徒の右腕があり得ない方向へ曲がり骨が折れる鈍い音がした。
「えぇッ!?」
「い、痛ェーーーー!?うわぁぁぁああ!」
その場の空気が一瞬にして変わり、不良少年達はあり得ない物を見た驚きに
ある者は固まり、ある者はその場から逃げようと後ずさりし、ある者は
慌てて携帯電話を取り出した。
震える指先は、110番を押そうとして居た。
淳は驚異的な運動能力で素早く前へとダッシュし、跳ねるように上へと跳躍し固まっている者の顎目がけて
飛び膝蹴りを食らわせ顎を砕き、それと同時に逃げようとして居る者へ
ペルソナを向かわせ通報しようとして居る者の頭と一緒に
ペルソナの右手と左手で同時に掴み上げ宙に浮かし両者をゴツン!とぶつけ合わせた。
だらしなく垂れ下がった生徒の指の間からカタン!と携帯電話が地に
落ちそれは屋上のコンクリートの地面に弾かれて
一部が破損してしまった。頭をしたたかに打ち合わされた事で気絶してしまった
2名が地面へと崩れ落ちる。
「おい、おい……おいッ!?」
残された無傷の男子生徒は茫然と、だが化け物でも見たような眼で
淳を見て居た。
「これ、喋ったら分かるね?ここでは君達は何も見なかった。」
低い声で淳が、釘を刺す。
「……僕の事を喋ったら僕に絡んで来たら次こそは全員を殺す。」
それは実はハッタリではあったがハッタリとはバレ無いだろう。実際に「人間を」
殺せるだけの力を淳は持っている。
だが、ここで殺人を犯せば未成年とは言え、犯罪者となる。
この時勢、逮捕もあり得るとすればこれから自由に身動き出来ないのは困る。
非常に困る。だから、ぎりぎりまで痛めつけて恐怖を与えて殺すまではし無い。
何処かたのし気な雰囲気すら含んで、ペルソナを仕舞うと
鞄を片手に淳は何食わぬ顔で、何事もなかったかのように屋上の階段を降り離れて行った。
残された不良生徒数名は、床に伸びそしてその後学校に救急車が駆け付けた。
次の日の昼休み、ひょろひょろと背が高いばかりの
壮年の担任教師に淳は呼び出された。
「えー……以前の学校でも身の回りで謎の暴行事件があったそうですが……」
「ひょっとして黒須君は虐めを受けていたんですか?」
「○○君とその友達が、他生徒との喧嘩の末の重傷と言う事を知っていますか?」
次々と繰り出される質問に淳は、少しうんざりしたような素振りを見せるが
柔和な顔立ちで良く分かりません……虐めはありませんでしたと適当にはぐらかして居た。
転校する以前も、その前に転校した時も同じ事は何回もあった。
その後、何処からともなく暴行は淳の仕業だと言う噂が流れて
虐めや校内
事件の実態の隠蔽を図った学校側からのやんわりとした
勧めで他校へ転校と言う話の流れになるのは
何時もの事である。
(今回も転校かも知れない、母さんが呼び出されてそれでまた家の中に
これ見よがしに愛人を引き込むのかな。)
酒浸り、色狂い、自堕落な生活を送る母純子が高校に呼び出されるのは何処か小気味が良かったが
それは裏返せば母に面倒を見て貰いたい、もっと自分を見て欲しいと言う甘えなのかも知れない。
何にしろ、ずっと自分は放置されて居た。幼い頃よりそんな記憶しか無い。
そして今もこうして顧みられず夜の街を歩いて居る。
雑踏を避けるようにして、辿り着いたのは寂れた公園。
ここは何処か見覚えがある、何処か懐かしい。
淳は、人が一人さえも居らぬ公園をゆっくりと歩いた。
その敷地はそれ程広くも無く瞬く間に端の方に設置されて居るブランコまで
到達すればそれをじっと見つめる。
微かに揺れているブランコは、まるで……
その時ズキリと頭が痛んだ。
何かを思い出そうとすると、それを邪魔するかのように頭痛がする頻度が
最近高くなっている。
無意識に腕にはめて居た古い腕時計を見た。時刻は既に0時を
回っていた。
頭痛がすると、腕時計を見てしまう。時間が正確に刻まれるのを
見れば安心する。いや、そうじゃない。
コレハ、誰カカラ贈ラレタモノデハナカタッカ……?
大事ナ、ダレカカラ……。
その時、背後から見知った声が聞こえた。
その声は自分の名前を呼んで居た。
「父さん!」
ぱっと顔を明るくし淳はその人物へと振り向く。
その人物は明成、彼の実父である。
上品なカシミアのマフラーを首元に巻き、
まるでテレビの中の刑事ドラマか何かの俳優が着るような洒落た上下のスーツに
きちんとそれらに合わせた色合いの革靴。
シニカルな笑みを浮かべた父は、招くようにして淳を呼んだ。
もう遅いから帰りなさい、と言うような言葉を掛けた後
彼は歩き去って行ってしまった。
淳は本当は、あの家になど戻りたくは無かったが
父の言う事は自然に聞いてしまう、マンションへと向かう。
淳は全く不思議に思っていない。
何故、父は自分と一緒に家に戻らないのか。
何故、家では何時も自分と母と2人のみで居るのか。
何故、父は……。
~END~